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2010-05-05

続 プロフィール



 管理者の Kamty 33 です。
 ここまで読んで下さって、本当にどうもありがとうございます。
 プロフィールの続きをお伝えしましょう。


 思いのほか 長くなってしまいました。
 これでも 執筆中に再生されてきた記憶データの中から、このエピソードならば記事に入れてもいいだろう、と感じられるものだけをピックアップしているんですけどね……。

 もしもまだあなたに余力と興味がありましたら、どうぞ先を続けてみて下さい。
 時期的には前回の 「断片的に憶えている時代」 と重複する部分もある   -
 学年を特定できる時代

 ……からの再開です。
 では、どうぞ……。


<学年を特定できる時代>  小学校5年生は 春の運動会でのこと……。下級生の徒競走というプログラムで、そのゴール近くに 各順位の旗を持って立つという仕事を割り当てられました。何位の旗だったかは憶えていません。
 新入生としての弟が 初めて “公の場” で走るレース……。
 彼は7~8人で一組のグループにあって、見事にトップでゴールインし、テープを切ったのです。

 4歳も離れているのですから、近所の子供たちと 学年不問の駆けっこをすれば、それは もちろん私が勝ちました。
 でも、たとえ そうであっても、それぞれ同年齢だけで競えば圧倒的に弟のほうが速い……。その確然たる事実の 重くて惨めな認識は消すことができません。
 弟に対する劣等感は、それから何年もの間 ぬぐい去ることができませんでした……。


 勉強ができる、とかいうことではなくて、一つの得意分野があるというのは救いですね。
 もちろん 図工・美術のことです、私の場合は……。
 以前の記事に、中学生になって 邪念が入ってきた、と記しはしましたが、それでも 自他の評価は高かったのです。
 それに 何より、楽しんでいましたから!

 週に一度の授業が近づいてくると心が弾み、授業中は いわば至福の時間であり、描きかけ・作りかけの作品は 家に持ち帰って続きをやる。 その繰り返しでしたね。
 科学の第二分野だとか 他にも好きな科目はありましたけれど、自らのステージにいる、というような 揺るぎのない自信を伴った授業は美術だけでした。

 でも、将来 絵描きになろう という夢を抱いていた記憶はありません。
 唯一、小学校6年生の頃、漫画家になりたい、と思っていましたが……。


 『サザエさん』 が大嫌いでした。
 こんなの嘘っぱちだ、と思っていました。

 私にとって 家庭というものは、牢獄以外の何物でもなかったからです。
 母親は ヒステリックで予測不能の看守、父親は 寡黙でオッカナイ刑務所長……といったところでした。
 いわゆる文明社会において、大半の子供は 「囚われの野生動物」 です。たとえ その両親が出来た人たちで、厳しいながらも自由に育てるという姿勢をとれるだけの器を持っていたとしても、学校という外部環境からの影響を 完全に払拭することはできないでしょう。

 私の場合、主観的には 上に記したような想いを隠し抱いてましたから、家よりは学校のほうが 「まだマシ」 だったわけです。
 小学校・中学校という “矯正” 施設では、いまだ 「人間性」 を習得していない児童・生徒たちが放つ 剥き出しの感情が渦巻いています。その只中にいるときには 必死なので気づかないことが多いですけれど、実際には極めて熾烈な場なんですよね、本来……。
 なけなしのプライドを傷つけられ 意気消沈したこともあれば、逆に、自分を守るために裏切りをやったことだってあります。
 それでも 私にとっては、学校のほうがマシだったのです。


<両親との冷戦時代>  私が通っていた都立高校は、学風が比較的 自由な学校だったということもあり、ごく普通に酒を飲むような3年間を過ごしました。
 もちろん、親や教師のいないところで、ですよ。
 一気飲みというやつは 大学に入ってから覚えるのが一般的のようですが、私たちの場合は高二の頃から普通にやっており、それが当たり前だと思っていたので、大学1年 (私立の美大) の新歓コンパで同級生たちが羽目をはずしているのを目の当たりにして (急性アルコール中毒で救急車2台)、とても驚いたものでした。

 話を戻すと、高校1年の10月にサッカー部を辞めてからは、酒とサ店とスペースインベーダーの生活……まあ、ごくごく普通の 「帰宅部員」 だったわけです。
 趣味で人物画なんかは描いていましたけれど (それに加えて映画鑑賞)、これといった夢などはなく、「なんか面白れえこと ねえかな」 みたいな毎日を送っていましたね。
 象徴的に言うならば、当時 放送されていた 『夕日ヶ丘の総理大臣』 的な高校生活……。その一昔前の、『われら青春!』 とかでは全然なかったのです (この違い、わかります?)。
 まあ、時代というものなんでしょう。


 一浪して入った美大で専攻していたのは 建築です。
 美術と、進路決定時に成績の良かった理系科目との妥協でした。もともと建築に興味があったわけではありません。
 4年間 学んでみたけれど、けっきょく好きにはなれませんでした。
 学部内の友人たちにも違和感を覚えていました。本心を打ち明けることは決してなかった……。なぜかと言うと   -

 自分は革命家になるのだ!

 と 密かに決め込んでいたからです。
 比喩ではなくて、文字どおりの革命家ですよ。
 とはいえ、左翼運動とはまるでニュアンスが違い、幕末の志士の延長です。『竜馬がゆく』 をはじめとする幕末ものに、かつて経験したことのない興奮を覚えた挙句、これしかない! と水を得た魚のように有頂天になったのでした。

 今はまだ 世が熟していない。自分が活躍できる時代が訪れるまでは、歴史を学び、人間を知り、力を蓄えよう……

 これが、当時 くり返し自分に言い聞かせていた文言です。
 要するに、誇大妄想ですね。
 やれやれ……。


<過去からの贈り物>  さて、私は革命家になることができたでしょうか?

 もちろん、なれはしませんでした。狭義における革命家には……。
 でも、こんなことがありました……十数年後の話です   -

 以前の記事で言及した森林保護運動では、関係省庁に請願に行ったり 駅前で署名を集めたり、という地道な活動だけではなくて、現地へ赴いて行なう直接行動にも力を入れていました。 具体的にどういうことをやっていたかと言うと、伐採予定地内に陣を張り、そこと接した工事現場に打って出ては、ブルドーザーやユンボの前に、座り込む・寝転ぶ・立ちはだかる、といった非暴力直接行動だったんです。
 それは正に、学生時代にやりたかったことの 形を変えた再来だった、と言えるでしょう。
 まあ、命まで獲られる危険はありませんでしたけれど、いちおう体は張っていましたからね。

 やれる限りのことはやりましたが、敗北を喫しました……。
 現在、その場所はゴミ処分場になっています。


 「革命」 に関する もう一つの “再来”……。
 今 たずさわっている絵画の仕事では、あくまで平面に徹していながら、前々から3D的表現をなんとか実現できないものか、と考えていました。私の目指しているものは、目の焦点を調整すると立体像が浮かび上がってくるという、既に世に出回っているような代物ではなくて、画面との距離の違いによって、立体的に……さらには流動的に見えてくるような、全く新しい造形なんです。
 で、それが遂に……去る4月の個展における最後の作品によって実現することができたのです。
 次回の個展は、その新機軸作品群を前面に押し立てていくつもりでおります。
 そんな私が いま、自らのことをなんと謳っているかというと   -

 2Dアートの革命家……


 理不尽なまでに長いプロフィールに 最後までおつきあい下さったあなたに、心より感謝いたします。
 どうも ありがとうございました。

    2010. 05. 05


凹みがちの方へ ●怠け者のどこが悪い?



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